社会福祉法人ひつじ  http://hitsuji.or.jp

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理事長挨拶 ・・・・・ 藤田 安

藤田安

「世界を直観する」

 いま、この瞬間、自分のまわりで何が起こっているのか!いや、何が起きようとしているのか!

 もし、私たちが、こうした「いま」という時間、そして自分が「いる」と感じている空間で、絶えず、何が起こるか分からない不安な気持ちを持ちながら日々を送っていたら、きっと平穏な日々がなくなりご飯も喉を通らなくなるでしょう。夜も、安心して寝てなどいられなくなるかもしれません。絶えず自分の周りを気にし、その周りを気にする気持ちに従って行動する自分。そこまで気にする必要はないと感じながらも、そうしないと落ち着かない自分。行ったり来たりするこの気持ちが、いつしか当たり前のものになってしまった時、物凄く繊細で、敏感で、一寸した場の空気の変化を被害的に感じてしまう人間が浮かび上がってきます。精神障害のある人や発達障害を持っている人は、大なり小なり、この傾向のある人たちです。安心できる時や場所がなくなり、人との関係も、どのような言葉を使って自分の気持ちを表現するとしっくり来るのか、どのような付き合い方が自分にとって自然なものなのかが分からなくなった人たちです。だからこそ、より敏感に、その場の雰囲気を察知し、その場をやり過ごし、一寸でも身の危険が感じられたら決してそこには近付かないという生き方になっています。しかし、日常の悲喜交々は彼らのこうした気持ちをよそに、彼らを巻き込み、彼らを誤解し、彼らが真実だと思うことを歪めてしまいます。しかも、それがかなり頻繁に起こるのです。身の守り方を知らずじっと息を殺すような生き方に終始してきた彼らにとっては、この時こそあってはならない時、必死で、全身全霊の力を使って、抗議をしたり訂正を求めたりする時です。ここに注がれるエネルギーは尋常なものではありません。大方の人間は、どうしてそこまで執着するのか分からないという程のものになります。それほどに、日々をやっとの思いで生き抜いて来ている彼らにとっては、いま、この瞬間、自分を示さないことには自分が自分でなくなってしまうかもしれないというぎりぎりの叫びに似た気持ちを伝えようとするのです。ところが、自分をどのように表現したらしっくり来るのかまだそれを知らない彼らにとっては、自分の気持ちとは裏腹に新たな誤解が、新たな溝が、人との間に出来る結果になることが多いのです。多くの場合、これが現実に起きることになります。彼らの繊細さと敏感さゆえの主張は、報われるどころか、孤立状態を深めたその瞬間を直観させる出来事にもなるのです。

 私たちは、この「世界を直観する」力が、その人自身を支え、その人自身の生き抜く大きな力になっていると感じています。しかし、極めて個人的な世界に留まるために、持てる力を能力として発揮し、多くの人のために役立てられないままでいるとも感じています。
 多くの人が見ることない彩り豊かな世界、多くの人が聞くことない刺激的な音の世界、多くの人が感じることない素晴らしい世界、そして、多くの人がその人自身の感覚だけでは未来永劫知ることはない感動的な世界を、「世界を直観する」能力を持っている彼らと付き合う中で知ることが出来るのです。
 彼らは、自らが持っている能力に未だ気付けないだけでなく、多くの人が持っていない感覚を持っているために「少数派」として苦悩する日々を送っています。そして、能力を生かす術を知らないまま「障害者」と呼ばれる日々を送ることになっています。
 世の偉人、達人と呼ばれた人たちが能力を発揮するに至った過程には、この「世界を直観する」力が働いたことを、私たち多くの人間が知っています。

 私たちの取組みは、「障害者」と呼ばれ、「社会的弱者」と呼ばれ、「少数派」と呼ばれる彼らと、人と人との普通の付き合いをすることです。そして、彼らに、自らが持っている力に気付いて貰うこと、その力を能力として人のために生かす方法を学んで貰うことだと思っています。そのための安全で安心できる「居場所」作りを行うことと、自らが持っている力を能力に変えるための「就労」への取組みを行っていくことだと思っています。